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  荒野物語


 ひび割れた岩と乾いた土の剥き出した大地。それが何処までも延々と続いている。日中は常に太陽で焼かれているため、どこからか吹く風は砂塵と熱を帯び、規模の小さな湖や川は干上がり、疲れ果てた木々はやせ細っている。
 そんな荒野にあるちっぽけな集落。その集落には入り口や境界線といった概念はなく、ただ広い荒野の一部にいくつかの家々が建っているだけであり、なんとも殺風景な風が吹き込んでいた。それでも僅か数十の人口を抱え、家庭を持つ家もあれば、店や酒場を開く家もある。
 あてのない長旅の末、ようやくその集落へ辿り着いたカルドは、迷う事なく酒場へと直行した。酒場のスイングドアを押し中へ入ると、カウンターの、すでに客の座っている席の右隣に腰を落ち着かせる。
「水を一杯くれないか?」
 カウンターの向こうに立つマスターに対して、カルドはそう言った。
 マスターはカルドを一瞥すると、折角の客を煙たがるような表情を露骨に示した。それから、傍に置いてあったコップを洗い始めるも、カルドの注文を受けるような素振りは一向に見せない。
 いくら水が貴重なこの時代とはいえ、一杯の水すらよこさねえとはな。ケチくせえマスターだ。そう思いながらも、カルドは着込んで野暮ったくなったコートのポケットから金貨を一枚取り出し、それをカウンターに置いた。
 すると、マスターの無関心な態度は一変し、意気揚々といった様子で今程洗ったコップに水を注ぎ始めた。しかも、気前のいい事に、コップ一杯の水に氷までつけてくれたのだ。そのコップをカルドの目の前に置く際、マスターの表情は気さくな感じの愛想の良いものになっていた。
「すまねえな」
 カルドはコップを手に取り、その水を一気に飲み干した。これほど冷え切った水を口にするのは数日振りである。枯れ切っていた汗が滲み出ててくるような感覚を覚えつつも、コートのポケットから再び金貨一枚をとり出しながら、「もう一杯頼む」と空のコップを差し出した。
 マスターは快くという身振りでそれを承諾し、差し出されたコップの縁すれすれになるまで水を注いだ。水を注ぎ終わった直後、マスターはにこにこと笑みを浮かべながら「遠慮せず、どんどんお飲みになってください」と言ってきた。
 カルドは「ありがとよ」とだけ返事をする。前の集落じゃ、水一杯どころか三杯だってタダで飲ませてくれたのに、ここじゃ水二杯に金貨二枚だ。高くつくくせに、肝心のコップは小せえな。心の中でそう愚痴を零しつつ、今度の水は少しずつ大切に飲もうと、ちびちびと口へ運び始める。
 そうしていると、カルドの左隣に座っていた生意気そうな面をした男性が突然薄く笑い出した。
「あんた、随分としけてんなあ? 金貨まで出して、酒じゃなく水を頼むなんて。昔と違って今はこんな時代だ、酒でも飲んでなきゃやってられんだろう。……それともなんだあ? てめえはまだ、真人間を捨てられないたちなのか?」
 カルドは面倒臭い奴に絡まれたもんだと思いつつも、
「俺は酒を飲むと、剣の腕が鈍る体質でね。こんな時代だからこそ、いざという時に、まともに剣が振れないと困るんでな」
 と答えた。
 生意気そうな男性は「フンッ」と鼻で笑う。
「まあ、それもちげえねえ。法も情けもなくなった今じゃ、自分の身を守れるのは己の力と、この剣だけだもんなあ」
 そう言いながら、生意気そうな男性は自分の腰につけている剣をとんとんと軽く叩いた。そのすぐ後、剣を叩いたその手は次に酒の入ったコップを掴み、男性の口へと酒を運んでいた。よく見れば、彼の顔にはほんのりと帯びた赤みがある。
 酔っ払って赤の他人に絡むようじゃ、こいつのこの先はそう長くねえだろうな。カルドはその男性から意識を外し、久方振りの水の旨味を味わう事に集中した。自分に話しかけてくる男性の声が聞こえようが一切の無視を決め込むも、当の男性は無視されている事へ腹を立て不機嫌になるどころか、ほとんど気にしていないようであった。
 店内に漂う客達のほのかな話し声を流し聞きしながら、カルドは大して繁盛もしていない酒場独特の空気に身を委ね、のんびりとくつろいでいたその時。突如、酒場のスイングドアを荒々しく開け放つ音がその場に鳴り響く。直後、酒場の入り口へと目を向ける客達から少し遅れて、カルドも皆の視線の集まるそこへ振り返った。
 視線の先にはアサルトライフルと持った人相の悪い男性三人がいた。彼らは偉そうに顎先を少し上げ、店内を物色するように周囲を見回しながら、カウンターへと近づいてくる。
 カルドは心の中で舌打ちを零し、彼らから目を逸らした。ここも、あいつら『ヴァーチェ政府』の支配下なんだな。まったく、折角の休息が台無しだ。そう声に出さず悪態をついていると、背後から荒々しい物音がした。
 カルドは音のした方へ自分の肩越しに振り向く。
 見ると、人相の悪い男性らがテーブルに座っている一人の若者を囲っていた。三人の内一番背の高い一人が「お前、その生意気な目つきはなんだ」といちゃもんをつければ、若者は「うるせえな。自分達が銃を持っているからって偉そうにしやがって」と返す。店内は水を打ったように静まり返っていたため、彼らのやり取りは耳澄まさずともはっきりと聞こえた。最初の方こそ、口だけの言い争いだったものの、やがてその争いには両者の手が出始め、ついには店内をかき乱すような銃声が伴うまでになっていた。マスターはカウンターの下へ身を伏せ、ある客は流れ弾を喰らいその場へ倒れ、またある客はテーブルや椅子を盾に己の身を守る。
 これを好機と見たカルドは、男性達の目を盗んで素早く店外へと走り出ると、何事もなかったように集落の往来を歩き始める。間もなく鳴り止んだ銃声の余韻を背後に、カルドは大きな欠伸を一つこぼした。久し振りの水にありつけたら、今度は眠くなってきやがった。さて、金を節約するために外で野宿するか、それともここは贅沢に屋根の下を一つ借りるか。今日の寝床はどうしたものか。
 そんな事を考えながら歩いていると、カルドの行く先、彼からやや歩いた先にまたもや銃を持った男性が二人いた。さっきとは別の人物ではあるものの、同じ『ヴァーチェ政府』という組織に属している連中である事に変わりはない。しかも、どうやらまた揉め事を起こしているらしく、彼らの目線の先には小さな女の子がいた。
 彼らへと近づくに連れ、風に流される程度だった彼らの会話が、徐々にカルドの耳でも聞き取れるほどの輪郭を帯び出す。
「ううっ、……なんでこんな事するの?」
「ったく、なんでもくそもねえよ! いいか、餓鬼。お前みたいな糞餓鬼が少しでも視界に入ると、目障りで邪魔ったいんだよ。ええ? 分かるか!」
 そう吐き捨てた男性は躊躇なく女の子を蹴倒し、その上彼女の顔に唾を飛ばした。そこまでしても飽きたらないのか、頭の悪い罵りを上げながら、これでもかと女の子へ何度も蹴りを加える。
 嫌な世の中だ。カルドは彼らを睨みつけながら歩き続け、丁度彼らのすぐ真横を通り過ぎるというところで、自分の肩を片方の男性の体にぶつけた。そのまま、立ち止まって謝る事もせず、何食わぬ顔でその場から立ち去ろうとする。
 と、ぶつかった男性に肩を掴まれ、カルドはその場に引き止められる。
「おい、待てよ」
 カルドは彼の方向へと振り向き、素っ気ない口調で、
「なんだ?」
 と聞いた。
 そのカルドの態度が気に食わなかったのか、不機嫌そうな表情をより一層険しくした男性はカルドの肩を掴んだ手を乱暴に離す。
「とぼけてんじゃねえよ。今、俺にぶつかっただろう?」
「ああ、その事か。お前が道の真ん中に突っ立ているもんだから、邪魔ったくてね」
「なんだと?」
 激情を露わにした男性が持っていたアサルトライフルを構え、カルドに向けて今にも発砲しようとしたその瞬間、カルドは腰につけていた鞘から即座に抜剣し、その男性の左手を斬りつける。その男性が「ああ?」と声を漏らした時には、銃身を支えていた彼の左手首は一度宙へ浮いてから、冷たい地面へと力なく落下した。
「ああっ! 俺の左手があ!」
 その言葉を最後に、男性は人間のものとは思えない叫び声しか発しなくなった。手首から先を失った部分をもう片方の手で押さえながら、みっともなく背中を丸めた恰好で地面に倒れ込むや否や、駄々っ子顔負けのじたばたを見せつけてきたのだった。傍にいたもう一人の男性が酷く血の気の引いた形相で、激痛に悶える男性をなんとか押さえようとしていた。
 カルドは彼らを見下しながら、剣の切っ先をちらつかせる。
「大の男が悶える姿は目障りで邪魔ったいんだよ。今度は別の首が飛ぶ前に、さっさと失せるんだな」
 カルドの声など、手首を斬り落とされた男性には届いてないらしく、激痛のあまり暴れるので精一杯なようだった。その様子を見て、とても一人じゃ押さえきれないと判断したらしき相方は、首に下げていた笛を一吹きする。
 少しして、どこから組織の男性達が数人集まってきた。相方から事情を聞いた彼らは、協力して暴れる男性を縛るように抱え、地面をずるずると引きずり去っていた。
 彼らを見送ったカルドは、小さく鼻で笑い飛ばす。あれぐらい無視できていれば、大事な手首を一つも失わずに済んだのにな。
 それから、カルドは倒れていた女の子を見やる。彼女の目線に合わせるように地面へ片膝をつき、「嬢ちゃん、大丈夫か?」と声をかけた。女の子は「うん。ありがとう、おじさん」と返事をし、弱々しくも明るい笑顔を作った。
 どうやら、怪我はないらしいな。カルドは女の子の身が大丈夫だった事に安堵すると共に、また別の事に対する悲しみを覚える。自分の目の前で人一人の手首が飛んだっていうのに、この子は一切臆している様子を見せない。人殺しという光景が普通になったこんな時代のせいなのか、数十年前には存在した倫理観というものはもはや無くなってしまったんだろう。本当、嫌な世の中になっちまったもんだ。
「まあ、ああいう大人には気をつけた方がいい。間違っても、今のおじさんみたいなヘマはするなよ」
 カルドは立ち上がると、再び往来を歩き始めた。こうなったら、あいつらの報復があるかもしれねえから、おちおち屋根の一つも借りられないな。この集落をさっさと出て、適当な場所で野宿するか。
 日の落ち始め、茜色に染まる荒野。大地を熱すような昼間の暑さは次第に引き始め、それと入れ替わるように肌を撫でるばかりの冷たい風が穏やかに吹き出していた。
 そんな荒野の中、カルドは夜を迎えようとする薄暗い周囲を見回しながら歩いていた。身に纏っている布切れのマントが外れぬよう片手でしっかりと押さえ、迫り来る風の冷たさに身構える。そろそろ、野宿できそうな場所を見つけねえとな。
 しばらく荒野を彷徨い歩いた末、完全に日の沈む前に、カルドはようやく手頃な岩場を見つける。丁度風の吹き付ける方向に対して、大きめの岩が三つほど肩を寄せ合っており、冷風どころか砂風も防げそうであった。
 カルドは早速、その岩場の陰に焚き火を起こし、どっしりと鎮座した岩に背中を預けるように座り込んだ。彼は暖を取りながら、爆ぜる音を立て燃える焚き火をじっと眺めていたが、すぐにそれに飽きて上空へと目を移す。
 夜になった上空にはすっかり無数の星が散らばっていた。薄い赤や濃い緑、青などの色をした大小の星々が輝くその空は、満点の星空というのに相応しい。この世界を荒野と変えたあの大戦争は、人類から栄えある輝かしい文明を奪った代わりに、これ程美しい星々を夜空へと返す結果になった。なんとも皮肉なものだ、カルドはそう思っていた。この星空を見るたびに、カルドは過去の大戦争とそれによって生き別れた親友の事を思い出す。
「あいつも、この荒れちまった大地のどこかで、この星を眺めているんだろうか」
 そう漏らしたカルドは、思わず口から零れた独り言を自嘲気味に鼻で笑い、ゆっくりと目をつぶった。完全に眠るまでの間、彼はこんな時代になる前、まだ法と情の存在した時代を思い返す。
 豊かな自然とそれに調和した木製の家々。ある人は穏やかな余生を送り、またある人は農作業に精を出す、とても平和な村にカルドとその親友はいた。二人は同じ師の教えのもと、剣の道を極めんとする良き友であった。カルドは技を以て制す剣の道を進むに対し、彼の親友は力を以て制す剣を重きに置いていた。剣の腕が未熟であったカルドは親友との勝負にいつも負け、親友からよく「お前の剣は体裁を気にしすぎだ。いいか、どんなに技を極めても、結局それ以上の強大な力には圧倒される。技がなくても剣は成り立つが、力がなくては剣も役に立たねえんだ」と言われていたのである。お互い剣の道に対する価値観は違えど、友としては気の合う仲だった。そんな平和な日々を一瞬にして奪ったのが、あの大規模な世界戦争である。その戦火に見舞われて以来、親友の行方は知れず、カルド自身もその日を凌ぐ放浪生活を強いられる事になったのだ。それでも、カルドはいつの日かその親友と再会した時、今度こそ剣の勝負で勝てるようにと、日々を生きる中で一度たりとも剣の修行を怠った事はなかった。
 気付けば、カルドの思考はぼんやりと移ろい始め、火花を散らす焚き火の音と共に、足を忍ばせる微睡みの中へと消え行きつつあった。
 荒野の夜は風が冷たく、その闇にかかれば半端な光などたちどころに飲み込んでしまう。そのような深い夜の中、寝入り始めるカルドを照らすのは、焚き火の赤い光と夜空に浮かぶ星々や月の凛たる輝きのみであった。

 前の集落からさすらって、三日ほど経った真昼の荒野。
 そんな荒れた大地の上にどっしりと構えた見知らぬ町の前に、カルドは立っていた。
 さて、どうするか。そう思いながら、肩に提げていた麻袋をおろして紐を解くと、その中を確認する。食料はほとんどなく、二日前に運良く見つけた水たまりで満たされていた水筒も今や空っぽ、おまけに金貨も銀貨も底をつきかけていた。
 ここで一週間ぐらい用心棒でもするか。それが無理だったら、そこら辺の賞金首の一つや二つでも取れば良いさ。そう決めたカルドは、紐をしっかりと締めて麻袋を肩にかけなおし、町の中へと入っていった。
 町の中は案外活気があった。大戦争の戦火を上手くまぬがれたのか、状態の良い建造物がいくつか残っている。石で造られた三階建ての小さなビルや一戸建てには風化が見られなくはないものの、それらを店や住居として利用する分にはなんら問題ない。恐らく、そうした良い環境のおかげだろう。今こうして人々が往来を行き交い、出店などがちらほらと商売をしているのも、そうした環境が人々を自然と呼び込んでいるからに違いない。
 久々に人間の活気を浴びたカルドは、ここならそこそこ旨い儲け話にありつけそうだと踏み、早速そういった情報の飛び込むであろう酒場を見つけ出そうと、町の中をふらふらと歩き回り始める。途中、顔色の悪い男に話かけられたり――こういう目の下に青黒い隈を作っている奴は大抵、人身売買や麻薬取引きを目的として人に声をかけるもんだ――、女性に言い寄られたり――こんな時代だからこそ、自分の身を守るために使えそうな男を支配下へ置こうと考える女性が多い――、乞食にすがりつかれたりしたが、そういった明らかに面倒そうな輩は全て無視していった。
 そうして、人と人のすれ違う往来を歩いていると、カルドの向かう先の方から何やら不穏なざわめきが伝わってきた。往来の人々が口々に『あいつらだ』と呟き、道の端へと皆一人も漏れる事なく慌てて寄っていくのだ。
 その空気をしっかりと感じ取り、カルドも周囲にならって道の端に寄った。その場へ軽く唾を吐くと、人々の目の向けられた先、数人の男性のものと思われる荒い声と足音の聞こえてくる方向へと目をやる。どうせ、また『ヴァーチェ政府』の奴らだ。  通りの向こうから足並みを揃えて歩いてくる五、六人の男性の姿が少しずつ見えてくる。大戦争時に国家政府の軍隊が着用していた軍服を改造した制服に、片手に抱えられたアサルトライフル。何よりも、「毛を逆立て怒りの表情を露わにする狼のシンボル(ヴォルフ)」の入った腕章こそ、彼らが『ヴァーチェ政府』の人間であることを示している。
 彼らが組織の制服を着ているということは、組織全体が何らかの行事を行っているか、監査と称した暴行略奪の行為や行軍を執行しているか、はたまたどこかの組織と戦時中であるかのどれかを意味している。先日、酒場で奴らを見かけた時は制服を着ていなかったところを見るに、つい最近この状態になったのだろう。
 よく見れば、彼らは大衆へと向かって叫びつつも、何やらチラシをばら撒きながら歩いている。
「いいか! よく聞け! 我々『ヴァーチェ政府』は、今日より新たな無法者を指名手配し、この指名手配犯に破格の懸賞金をかけることにした! 生死は問わん! この者の首を我々に差し出せば、一生遊んで暮らせる金が手に入るぞ!」
 どうやら、また『ヴァーチェ政府』に目をつけられた奴が賞金首になったらしいな。金は欲しいが、奴らに関わった賞金首にはろくな奴がいないし、ここは無視するのがいいか。カルドは目を伏せ、チラシを撒き散らしながら歩く彼らが通り過ぎていくのを待つ。
 段々と男性達の声が大きくなり、ようやく彼らがカルドの目の前を通過しようとした時、
「……あっ、貴様は!」
 という一人の男性の声とともに、彼らはカルドの目の前で立ち止まった。
 ちっ、なんでよりによって俺に声をかけるんだ。今日はついてねえ、などと心の中で悪態をつきつつも、カルドはそっと顔を上げる。自分の目の前に立っていた人物を見た途端、カルドは何故大衆の中から自分だけ声をかけられたのかを知った。
「ふん、先日はよくもやってくれたな。どうだ、親切ぶって餓鬼を助けた気分は?」
 カルドは返事をせずに、その男の左腕を手早く一瞥した。左手がない。とするとこの男は間違いなく、つい数日前に酒場の前で嬲られていた子供を助けるために、自分が喧嘩を売ってしまったあの相手であった。
 その時は相手が二人だけであったが、今回は奴の後ろに数人の仲間がいる。加えて、皆片手にアサルトライフルを持っているためカルドには分が悪かった。
 なんとか、戦わずに追い払えないものか。カルドは牽制の意味を込めて、腰に提げている剣の柄に右手を添えた。
 すると、左手のない男性は怯むような様子を見せ後ずさる。
「へっ……、そうやって粋がっていられるのも今のうちだ」
 そう言って、男性はおもむろに取り出した警笛を勢い良く吹き鳴らした。
 笛の残響が完全に消え去らない内に、どこから乾いた土を踏み鳴らす大勢の人間の足音と、何匹かの狼の甲高い遠吠えが聞こえ始める。その音を聞いたためか、道を開けていた大衆は慌てて方々へ散り、やや逃げ遅れた者達もこの場から一刻も早く離れようとばかりに騒ぎ立てた。
 まずい、召集をかけられたか。このままこの場に留まっては包囲されると判断したカルドが、すぐ背後にあった路地裏へ逃げ込もうとした時、「餞別にこれをくれてやる。まあ、これからの生活を楽しむことだな!」と左手のない男性から、重りのついた紐でくくられた紙を投げ渡される。
 それを受け取るも中身を確認する暇がないため、とりあえずその場から逃げる事に専念する。なるべく通りへ出ないよう、遠くから聞こえてくる人間の足音を頼りに追手の位置を予測し、挟み撃ちによる急襲を避けながら、路地裏を縫うように走り抜ける。先程の遠吠えからも軍用狼のいる可能性は高いだろう。時に建物へと入ってそこから手短な建物へと飛び移るなど、自分の臭いが狼に追跡されないよう出来る限りの工夫も交えていく。
 そうして、逃亡を続けた結果、日の落ち始めた頃にはなんとか追手を巻き、厳重体制を敷かれ検問を設置される前に町を抜け出すことができた。
 それから夜が更けた後も、町から少しでも遠くへ離れるためにカルドは歩き続ける。
 そういえば、あいつから何か投げ渡されたな。歩いている最中、カルドはそんな事を思い出した。麻袋に仕舞う余裕もなかったため、あの紙は男性から受け取った時のまま自分の手に握り締められている。恐らく、あの時大衆に配っていたチラシと同じものであろう。
 紙の内容が気になったカルドは紐を解き、手汗と皺でぐちゃぐちゃになっていた紙を破らないよう慎重に押し広げていった。
 見ると、その紙面には「WANTED」という文字とともに自分の似顔絵が描かれており、そのすぐ下にカルドですら今まで見た事のない巨額の賞金が提示されていた。それはつまり、自分が『ヴァーチェ政府』という組織のお尋ね者になってしまったことを物語っているに他ならない。
 カルドは何故こんな事になったのかと頭を抱えた直後、その原因にはたと思い当たった。
 そうだった。俺は確か、子供を助けるためにあの野郎の手首を斬り落としちまったからな。くそっ、今まで『ヴァーチェ政府』には目をつけられないよう面倒事を避けてきたのに、あの時ちょっとした情が湧いたばっかりに。あん野郎もあれしきの事で上に通告するなんざ、余程腑抜けた玉なんだろう。
 カルドは「ああ、面倒な事になっちまった」と誰に言うでもなく愚痴をこぼしながら、夜空を見上げる。カルドの憂鬱な気分も知らずに、夜空は相も変わらず曇りのない星々の輝きを散らしていた。つい昨日までは、それらの星々と同じように好きな時に輝いて、太陽が目を光らせればさっさと身を潜める自分勝手なさすらいの旅をしてきた。それが今日から一転、自由を縛られた追われ身となる。そもそも自分のまいた種とはいえ、根本的には相手が悪いはずなのだから、自分だけ不幸を被るというのもなんとも理不尽なことだ。
 明日からの生活を考えると、今のカルドにはその先がただただ煩わしく思えてならなかった。

                            〜続〜 

※(以降、誤字「ヴォーチェ」を、正字「ヴァーチェ」に訂正)

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